自分の禅の知識はほとんどが鈴木大拙に依っていて、多分に神秘主義の要素を含んでいたため、いくつか原典にあたってみようかと思った。本書に掲載されているのは以下の 5 点である。
『菩提達磨無心論』:祖師の達磨が伝えたとされる無心の道理を伝える書。空なる心の実践を説いた『維摩経』の影響も強く受けているが、本来清浄のところに立つという大乗禅の思想が見て取れる。
『六祖壇経』:六祖の慧能が新しい戒律・禅定・知恵という三学の精神を伝える。六祖自らが自己の伝記と思想を語るという新しい様式を確立した。
『臨済録』:臨済宗の開祖である臨済義玄の語録。臨済は慧能の三世である馬祖道一が興した洪州宗の流れを汲むが、洪州(現在の江西省)を離れ北方の鎮州(現在の河北州で、当時は北方異民族との国境に近かった)で活躍した。その影響もあってか、張りつめるような冷たい空気が流れている。
『洞山録』:曹洞宗の開祖である洞山良价の語録。洞山は臨済と同世代だが、生涯江南を出ることはなかった。温和な気候のなかで過ごした彼の表現は臨済とは対照的で、人情に富む。
『祖堂集』(抄訳):現存最古の禅宗史書。 20 巻にもわたる一大記録文学で、上記の禅僧たちの言葉も多く掲載されている。
なお、冒頭に柳田聖山の「禅の歴史と語録」という非常にわかりやすい解説もついている。これを読むだけでも、鈴木大拙とは違う視点で禅を知るという意味では十分価値がある。
「仏教とは哲学である」ととある YouTuber ?が語っていたが、まさにそのとおりであると思った。『祖堂集』の冒頭などには聖書の天地創造のような物語が含まれてはいるものの、基本は説法の背景にちゃんとした理がある。達磨の壁観(坐禅)、慧能の念不起(坐)と見性(禅)、臨済の逢佛殺佛(仏に逢うては仏を殺す)。どうやら中国禅においてはニーチェより千年以上も前に神は死んでいたようである。こうしたところに仏教のおもしろさがある。