今年(2022 年)は千利休の生誕 500 年にあたる年である。残念ながら記念イベントの類はすでにほとんど終わってしまったようだが、近々大阪・京都に訪れる予定なので、千利休の理解を深めるために読んだ。『現代アートとは何か』や『アートは資本主義の行方を予言する』にも彼のことが書かれていて、興味を持ったのもある。
通説では、唐物の茶道具で飾り立てた室町将軍家の茶を、珠光がまねて町衆の世界で茶の湯をはじめ、その後に続く武野紹鴎と千利休がわびを深化させたことになっている。ところが著者は堺の豪商茶人の代表格である紹鴎の茶の湯は利休のそれと対極にあるとして、利休が紹鴎の弟子であったという説を否定している。これは著者の想像による産物というわけではなく、今日の利休像に決定的ともいえる影響を与えた『南方録』などの資料を丁寧に読み解くことで得られた結論である。ただ利休とその茶の湯について同時代に書かれた資料を少ないらしく、どちらが確からしいかは私には判断できなかった。
感想としては歴史小説を読んでいるような気分だったが、利休が茶の湯のなにを変えたのか(= アートとしてなにがすごかったのか)という、一番気になっていた部分は解消されたと思う。茶の湯の成り立ちについては江戸時代に脚色された部分が多いという著者の意見にも同意だ。武士道の精神だってきっとそうなのだろう。そうしたものを差し引いたとしても、「一期一会」の精神や禅の思想を持ち込み、侘数寄の系譜を引くわび茶を大成させた利休の偉大さは変わらないのではないかと感じた。