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実力も運のうち

最終更新日: 2023 年 12 月 31 日

正直なところ、 2016 年当時、イギリスが EU から脱退することを決め、ドナルド・トランプがアメリカ大統領選挙に勝利したとき、それが意味するところをまったく理解できなかった。世界がなにか異常な方向へ進んでいるように思えたのだ。しかし、最近ようやくその理由がわかるようになってきた。『21 世紀の資本』に書かれていた能力主義はもちろん、『「狂い」のすすめ』に書かれていた世界劇場の概念などもそれに役立ったのだが、その極めつきとも言えるのが本書である。

この本のエッセンスは第 5 章「成功の倫理学」にあると思う。「能力主義信仰の魅力の大半は、次のような考え方にある。すなわち、少なくとも適切な条件下では、われわれの成功の手柄なのだという考え方だ」。それを批判する枠組みは大きくふたつある。ひとつはフリードリヒ・ハイエクらによる自由市場リベラリズムであり、もうひとつはジョン・ロールズらによる平等主義リベラリズムである。両者とも「功績や手柄を正義の基盤とすることを拒否する」。しかし、「人間の市場価値はその人の社会への貢献の適切な尺度である」という暗黙の前提がそれを難しいものにする。 道徳的功績を市場結果に帰することの危険性は、フランク・ナイトが 1920 年代にはすでに指摘しているが、能力主義エリートは 21 世紀に入ってもなお、自らが大衆に向けている侮辱に気がつかない。

それにしても 1958 年、今から半世紀も前にマイケル・ヤングが『メリトクラシー』と題する本を発表していたことには驚きを隠せない。 2033 年から過去を振り返る形で meritocracy (解説にもあるが、成果主義という意味で使われるこの言葉に、能力主義という訳を与えられていることに関しては注意が必要)によるディストピアが語られるという内容らしいのだが、いままさに彼が指摘していたような世界が現実のものとなってしまっていることは否定できまい。その象徴が 2016 年のできごとだったわけである。

人びとはこう認めざるをえないのではないだろうか。自分が低い身分にあるのは - 昔と違い、チャンスをもらえなかったからではなく、自分が劣っているからだと。人類史上初めて、身分の低い者は自尊心を巧みに支えられるものを失っているのだ。