以前、社会主義のテーマで『ソ連史』を読んだが、今度はロシアそのものへの理解をさらに深めてみようと思った。国土的にも歴史的にもこの国は本当に奥深い。ロシアの成り立ちから現在までを丁寧に追ってゆくと、はたして 1648 年に始まったウェストファリア体制とは一体何だったのかというところにまで思考が広がる。ソ連崩壊後、イデオロギーに変わる新たな政治の基軸として宗教の役割が見直されたのだ。というより、無神論国家であったはずのソビエトの由来からして「モスクワは第三のローマ」という教義を唱えた、ロシア正教のプロテスタントとも言うべき「古儀式派」が関わっていたと著者は説く。第一のそれは当然ローマ、第二のそれはコンスタンティノープルである。
ものすごく簡略化して歴史を記すと、 1453 年に第二のローマであるコンスタンティノープルがイスラム教徒の手に落ち、オスマン・トルコの首都イスタンブールとなった。これ以降、この地をキリスト教世界に取り戻すことが彼らの重要な課題となる。その後、 17 世紀のロシアには 3 つの選択肢が現れる。第一が「ベリコ・ルーシ」、つまり偉大なロシア人の信仰を守る孤立主義の道(古儀式派)、第二が東方正教会の帝国への道(ニーコン総主教)、そして第三がカトリックやヨーロッパ大国との強調の道(ピョートル大帝)である。
分裂の発端になったのが 1682 年にニーコン総主教が行った儀式改革で、最終的には 1721 年、ピョートル大帝が「帝国」としてそれを完成させた。しかし、神政政治を目指したニーコン総主教はピョートルの父、当時のアレクセイ・ミハイロビッチ帝との世俗的紛争に敗退する。また、古儀式派は宗務院など帝国の宗教弾圧によって 19 世紀まで歴史の後景に退く。 1917 年の革命によって帝政ロシアは崩壊したわけだが、ソビエト時代のレーニン・スターリン・フルシチョフは無神論者であった。しかし、ウクライナの研究者タラネツが「ロシア帝国の最強の反対派集団」と呼ぶ古儀式派は、当時の共産党の中核にも影響を与えていたらしい。著者はまた、プーチン一族と古儀式派との関わりについても述べている。
出版が 2016 年であるからそれまでの部分に限定されてはいるが、ウクライナ問題についても詳しく書かれている。「あたかもフィルムを逆廻しするかのように、 17 - 18 世紀の宗教改革から始まった政治的統合を逆にたどったのが 1991 年のソビエト連邦崩壊の過程である」。その延長線上に 2022 年のウクライナ侵攻もある。
地政学は当然として、宗教もわからなければ昨今のロシア情勢は到底理解できないなと感じた。もうひとつ、タイトルには含まれていないがエネルギーも非常に重要な要素である。シェール革命や中東の政治的不安定も相まってロシアのアジア・シフトが進んでいるという指摘もあり、これなどはウクライナ問題における経済制裁の意味を考えるうえでも必要な視点になってくるだろう。