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プラグマティズム入門

最終更新日: 2023 年 12 月 30 日

はじめてプラグマティズムに関する本を読んでみたが、私にとってはかなり難解だった。通俗的な意味合いでこの思想を知っているつもりになっていたが、実はそうではなかったようだ。捉えどころのない哲学だと感じた理由はおそらくふたつある。ひとつは同じプラグマティストとしてカテゴライズしてもよいのかと思うほどに、哲学者によって主張が大きく異なること。そしてもうひとつは、彼らの思想のほとんどが反デカルト主義を思想の立脚点にしていることだ。

本書ではパース、ジェームズ、デューイといったこの思想の源流とも言える人たちから、ネオ・プラグマティズム、そして 21 世紀の動きまでを幅広く紹介している。私の興味は主に最初の 3 名にあったので、彼らのデカルト批判を本当に簡単にまとめてみると、外界と隔絶した自己意識は存在しえないということになると思う。自分の内面の思考から真理を導こうとする方法的懐疑論は自己欺瞞なのだから、活動や行為、実践(ギリシア語で「プラグマ」)を可能にする認識の役割を改めて吟味しなければならない。そしてこの行為の支柱となる信念は、知的探求によって改訂されうる。

しかし、ここから先の真理についての結論は三者三様だ。パースは「探求の無際限な継続の果てに、無限の過程の収束点として考えられるような、最終的信念」としたし、ジェームズは「 ”真” とは、きわめて端的にいえば、ただわれわれの思考という方法において、有用である(expedient)ということである」と説いた。また、デューイは探求において、仮説の形成とテスト、そして共同体による承認というプロセスを通じて得られる「保証つきの言明可能性」こそ、私たちが真理と呼んでいるものの正体だと述べた。

たしかにジェームズの真理 = 有用性という哲学はアメリカの国民性の基になっているようにも思えるし、デューイの考察は実際にフランクリン・ルーズベルトのニューディール政策の思想的支柱にもなったようだが、こと真理に関してはどれもあまり切れ味がないように感じられた。ただ 21 世紀のプラグマティズムの動きなどを見ると、数学や論理学を軸とした論理実証主義がわからないと彼らの主張の真の意味を理解できない気がしたので、それは次のステップとしたい。